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駅伝オタクの自己満足

駅伝オタクの管理人によって2017年末に設立。自己満足で更新しつつ陸上ファンが増えることを願う日々。毎日更新予定

散りゆく英雄・・・

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散りゆく英雄・・・

・去る者たち…
 2015年以降、日本記録の更新が相次いでいる。彼らは大学時代から箱根駅伝で活躍してきた選手であり、期待されていた。一方大学時代に期待されながらも実業団に入社してから試合に出場する機会が減少し、フェードアウトしてしまう選手も少なくない。今回はそのような志半ばで散っていった実力者について取り上げたい



・今回は…
 取り上げる選手の定義として、大学時代に学生三大駅伝での区間賞またはインカレでの優勝を経験しながら入社5年以内に引退してしまった選手に限定したいと思う。それでは…

①伊達秀晃選手ー四天王最初の引退ー
 大牟田高校時代に5000mで13分台を出し、同じく13分台を出した上野裕一郎選手(当時佐久長聖高校)、北村聡選手(当時西脇工業高校)、松岡佑起選手(当時洛南高校)と共に「四天王」と称される世代を代表するランナーとなった
 そして伊達選手がブレイクしたのは東海大学1年時の箱根駅伝だろう。日本インカレ5000m2位、上尾シティハーフマラソン優勝という実績をひっさげて2区を任せられた伊達選手。先頭で襷をもらうと後続の選手を引き離す快走を見せて(1:08:04。区間2位)往路完全優勝に貢献した
 3、4年時の箱根駅伝でも1年時と同じ2区を任せられ、3年時は2位の選手と4分以上離れるという独走態勢の中で区間2位の走り(1:07:59)、4年時は16位(先頭の選手との差は44秒と少ない)から追い上げる中で13人を追い抜いて区間4位の走り(1:07:50)という走りを見せて黄金時代の中心選手として活躍した
 伊達選手といえば2~4年時に3連覇した出雲駅伝での活躍が最も有名だろう。2年時の出雲駅伝では最長区間となる6区を任せられ、区間賞の快走を見せて同校の出雲駅伝初優勝に貢献。3年時は3区、4年時は4区でそれぞれ区間新記録の走りを見せて優勝を決定付ける走りを見せるなど無類の強さを誇った
 大学時代の安定感や勝負強さ(インカレ、ユニバーシアード、日本選手権、国際千葉駅伝等での好走)から将来を嘱望され、鳴り物入りで中国電力に入社。1年目は4区、2年目は3区を任せられていずれも区間1桁順位の快走を見せる。しかし3年目以降は故障に悩まされ、自己ベストを更新できないまま引退してしまう。マラソンでの大成も期待されていたが、1度も走らないまま実業団を去った

②柏原竜二選手ー「神」に苦しんだ5年間ー
 いわき総合高校時代は貧血に悩み、思うような結果を出すことはできなかった。しかし柏原選手の素質を見抜いた佐藤尚さん(現コーチ)の勧誘により、東洋大学への進学を決意すると、3年時の都道府県対抗駅伝では1区区間賞の快走を見せて陸上ファンを驚かせた
 柏原選手の名前が全国的に知れ渡ったのは、やはり1年時の箱根駅伝だろう。登りの適性を買われて5区を任せられた柏原選手。先頭と4分58秒差という大差(9位)で襷を貰うと、猛然と突っこみ順位を上げる。そして区間新記録の快走で4分58秒差をひっくり返し、往復完全優勝に貢献した。その勇姿から「山の神」と称された
 現に4年連続で5区を任せられ、いずれも区間賞の走り。そのうち3回は区間新記録という圧倒的な走りを見せている。その一方で平地での実績も高いことは忘れてはならない
 1年時の全日本大学駅伝では2区を任せられ、同年度の箱根駅伝3区で区間新記録を出す竹澤健介選手(当時4年)に勝利し、箱根駅伝2区で区間3位の走りを見せる木原真佐人選手と区間賞を分け合って後続との差を広げた。そして4年時の全日本大学駅伝では先頭の選手と1分40秒差を付けられて2位で襷を貰うと、最初の1kmから果敢に飛ばして1分以上縮めた。しかし追い付くことができずに人目を憚らず悔し涙を流した。その悔しさが箱根駅伝での快走に繋がっていくのである
 学生トップクラスの走力を持ち、実業団での更なる大成を期待された柏原選手は富士通に入社する。1年目のニューイヤー駅伝では6区を任せられ区間4位の走りとまずまずの走りを見せる。しかし翌年のニューイヤー駅伝は欠場。その後も怪我に悩まされ、実業団の壁に跳ね返される日々が続く。そして2017年4月に引退を宣言。自己ベストを更新できずに5年間の実業団生活に幕を引いた(現在はアメリカンフットボールチームの富士通フロンティアーズマネージャー)

③出岐雄大選手ー早すぎたピリオドー
 青山学院大学が強豪校となった根底となった選手は誰か。筆者は出岐選手の存在を挙げたい。高校時代はIHに2度出場し、大学でも1年時から箱根駅伝に出場した(1区区間9位、1:03:48)
 そんな出岐選手がブレイクしたのは大学2年時の箱根駅伝だろう。自身初の2区を任せられると区間4位の快走(1:07:50)で11人抜きを果たして、シード権獲得に貢献した
 そして特筆すべきは大学3年時の活躍だろう。出雲駅伝では1区を任せられ、スピードランナーが揃う中で区間4位(23:04)。全日本駅伝では2区を任せられ、区間賞の快走(37:43)。大迫傑選手、設楽悠太選手、鎧坂哲哉選手をはじめとした実力者を置き去りにする姿を鮮明に覚えている方も多いだろう。そして2年連続で2区を任せられた箱根駅伝では区間賞を獲得(1:07:26)。村澤明伸選手、菊地賢人選手、村山謙太選手をはじめとした実力者を追い抜き、またしても陸上ファンを沸かせた。3月には勢いそのままにびわ湖毎日マラソンに挑戦すると、雨中に関わらず2:10:02という学生歴代3位の快走を見せるなど快進撃を続けた1年であった
 4年時には出雲駅伝の優勝のゴールテープを切る快走を見せ、将来を嘱望されながら中国電力に入社。ニューイヤー駅伝では1年目は7区、2年目は5区を任せられていずれも区間1桁順位の快走を見せる。そして2年目のニューイヤー駅伝後に行われた都道府県対抗駅伝では7区区間賞の快走を見せて実業団トップクラスの走力であることを証明した。その後も東京マラソン、ゴールドコーストマラソン等で実績を挙げて日本代表も近付いていた
 しかし3年目のニューイヤー駅伝を欠場。その後の東京マラソンでの走りは本来の走りとは程遠い姿であった。そして約2週間後、出岐選手は引退を表明する。無限のポテンシャルを秘めたロードのスペシャリストは僅か3年で実業団生活に別れを告げた

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