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駅伝オタクの自己満足

駅伝オタクの管理人によって2017年末に設立。自己満足で更新しつつ陸上ファンが増えることを願う日々。毎日更新予定

箱根駅伝初シードの瞬間!

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箱根駅伝初シードの瞬間!

昨日から続いてしまっている箱根駅伝○○の瞬間シリーズも一旦完結を迎える。今回は夜中にツイートしたように初シードの瞬間に焦点を当てたい

①2008年、関東学連選抜ー○○大作戦第0章ー
※日本学連選抜は2004年に6位相当で走っているものの、オープン参加のため2008年を初シードとする
 関東学連選抜。箱根駅伝に出場できない大学の中から箱根駅伝予選会で好走した選手が選抜されて箱根駅伝にチームとして出場できる制度である。予選会で好走した選手たちならば本戦でも上位にいけるのではないか。そう考える人も少なくない。しかし現実は違う。母校の襷を繋ぐことができないことによるモチベーションの低下、箱根駅伝という山を登り降りするコース、単純な走力だけでは現すことのできない問題があるのだ
 通常、関東学連選抜の監督は箱根駅伝予選会で次点で通過を逃した大学の監督が務める。この年、関東学連選抜の監督となったのは原晋氏。今なら名前を聞いたら誰もが知っている人物だろう。彼は関東学連選抜第1回のミーティングで選手たちに今回の箱根駅伝に出場する意義を考えさせた。そして選手たちに目標を定めるよう宿題を課した。「自主性」を重んじたのだ。選手たちが掲げた目標は「総合3位」モチベーションが生まれた瞬間であった
 次の問題は「山」である。平地では強いものの、山を走れる選手はいるのか?多くはないだろう。更に関東学連選抜に選ばれたのは僅か16人。(大学の部員は30~60人)つまりより限られた選手の中から5区と6区を走る選手を選ばなければならないのだ。ここで原監督の観察眼が冴え渡る
 そして2008年1月2日。第84回箱根駅伝が始まる。関東学連選抜は1区から中位に位置し、4区終了時点で9位に付ける。ここまでは想定通り。そこから信じられない光景が映る。当日変更された5区の選手が次々と順位を上げていくのだ。終わってみたら4位まで浮上。選抜チームが躍進を遂げた瞬間であった。更に6区の佐藤雄治選手は区間2位。6区終了時点では3位まで躍進する。総合順位は4位と目標の順位には届かなかったものの、原監督の采配は的中したといえる。この原監督の行動に作戦名を付けるとしたら「下剋上大作戦」と筆者は名付けたい

②2010年、城西大学ー11位からの脱却ー
 「幻の区間賞」第85回箱根駅伝。城西大学の9区を走った伊藤一行選手にかけられた言葉である。過去3年間11位とシード権に僅かに届かなかった中、箱根駅伝予選会では大学史上初のトップ通過。初のシード権獲得を目指していたはずだ。しかしシード権はおろか伊藤選手に襷が渡る前に途中棄権という憂き目にあってしまう。それでも伊藤選手は諦めなかった。その気持ちが後輩に受け継がれることとなる
 翌年の箱根駅伝予選会、6位という昨年よりは低い順位での通過となった城西大学。シード権獲得に一抹の不安が立ち込めた。しかし現実は良い意味で違った
 迎えた第86回箱根駅伝、往路では2区を走った主将の高橋優太選手。5区を走り2年後の主将となる田村優典選手を中心に名門校から進学をした選手たちが躍動し、10位で終える。大学史上2番目の順位である。11位のチームとの差はおよそ2分。しかし選手たちは攻め続けた。そして復路では4つ順位を上げ6位でゴールする。復路だけの順位では3位。シード権は厳しいと言われた前評判を覆してのシード権獲得。城西大学の歴史に新たな1ページが刻まれた瞬間であった

③2011年、國學院大学ー歓喜、落胆。そして歓喜ー
 「あーーーー、え?やった!やったよー!ハラハラさせんなよー」レース終了後に前田康弘監督はそう発言した。何故このような発言になったかは後述したいと思う
 2009年夏、前田監督は國學院大学の監督に就任した。就任直後の箱根駅伝予選会では15位に終わり、出場が叶わなかったものの早くも新チームへの移行を考えていた。前田監督はスローガンとして「変わる」という言葉を掲げた。そこから1年。國學院大学は見事箱根駅伝予選会を2位という成績で通過する。4年ぶりの本大会出場であった。その瞬間、箱根駅伝初シードへの戦いが始まったのである
 迎えた箱根駅伝本番。往路では5区を走った主将の仁科徳政選手の好走もあり過去最高の6位に入る。しかし復路ではシード校の逆襲を受け、10区の寺田夏生選手に襷が渡った時点では11位。際どいところであった。しかしここで第一のドラマが生まれる。前に選手がいるという状況が重なり6チームが8位集団を形成する。箱根駅伝の歴史上極めて珍しいことだ。この中から3チームがシード権を獲得できる。1人、2人と集団から離れる中で寺田選手は残った。そしてラスト200mでスパートをかけ、集団の先頭に立つ。ここで第二のドラマが生まれる。猛然と走る寺田選手は歓喜の声の中で右折した先導車につられ、コースを間違えてしまう。3校に抜かれ11位に逆戻りする寺田選手。ここで第三のドラマが生まれる。間違えていることに気が付いた寺田選手はゴール手前で1つ順位を上げ、10位でゴール!再び歓喜の声が上がった。先述した前田監督の発言はここから生まれた。そして國學院大学の歴史に新たな1ページが刻まれた瞬間であったのだ

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