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駅伝オタクの自己満足

駅伝オタクの管理人によって2017年末に設立。自己満足で更新しつつ陸上ファンが増えることを願う日々。毎日更新予定

箱根駅伝初出場の瞬間!

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箱根駅伝初出場の瞬間!

箱根駅伝に出場する全ての大学が1度は経験することがある。初出場の瞬間だ。今回はその瞬間に焦点を当てたい

①2009年10月18日、上武大学
2004年4月、花田勝彦監督(当時)の就任から全てが動き出す。大学側は監督就任にあたり、上武大学駅伝部を設立(それまでは陸上部の長距離部門という形であった)就任後、箱根駅伝予選会で年々順位を上げていき5年目の秋を迎える
 この年の予選会は例年よりも出場枠が増枠されており(13校が出場権を獲得できた)戦力の充実してきた上武大学にも出場のチャンスがあった。箱根駅伝予選会ではエース級の選手が序盤からハイペースで走り、タイムを稼ぐ。そして他の選手が集団で走るというパターンが現在は一般的である。しかし他校のように絶対的なエースはいない。そのため1km3分を僅かに越えるペースでの集団走に徹した。その結果チームトップの選手(実名は伏せる)は31位という成績であったものの、10番目にゴールした後藤祐一選手は78位。ゴールしたタイミングは全体でトップという成績であった。これほどまでの集団走の徹底、そして成功した例は上武大学くらいだろう。かくして3位で呼ばれ、箱根駅伝初出場という快挙を成し遂げた

②2014年10月18日、創価大学
創価大学の箱根駅伝出場が現実味を帯びてきたのは2012年4月、山口修平選手の入学からだろう。それまで10位台が定位置であった創価大学にとって高校時代からトップレベルで戦ってきた山口修平選手の入学は大きなものであったはずだ。1年目からチームでぶっちぎりのトップ。他校のエース級の選手とも互角に戦い、3年目には主将を任せられた。しかしチームとしての本戦出場は2年目まで無かった
 この年の創価大学はスカウトが上手く行き、過去最高の戦力と言われるチームになった。その中で箱根駅伝予選会を迎える。山口修平選手は先頭集団、他の選手は集団となりレースは進む。チームトップでゴールした山口修平選手。その後続々と選手がゴールする。これまででは考えられなかった光景がそこにはあった。チーム10番手の小嶋大輝選手がゴールしたタイミングは全体の10番目。当時、10大学が出場権を獲得できた。つまり際どいところである。そして運命の結果発表。次々と大学名が読み上げられ10番目に呼ばれたのは…
「10位、創価大学
 創部43年目にして初出場という大きな第一歩を踏み出すことができた。通算39大学目の出場である。この年から創価大学東京国際大学の出場争いは後日書きます(^-^;

③2015年10月17日、東京国際大学
「10位、創価大学
 創部43年目にして初出場という大きな第一歩を踏み出すことができた。通算39大学目の出場である。この年から
創価大学東京国際大学の出場争いは後日書きます(^-^;
 僅か2人…。大志田秀次監督が就任した際の部員の人数である。しかし大志田監督は新入生をスカウトし続けた。2年目に箱根駅伝予選会に初出場(21位)、3年目、4年目と徐々に順位を上げていき、大志田監督が初めてスカウトした選手たちが4年生になる5年目の秋を迎える
 例年出場権争いが熾烈になる箱根駅伝予選会。レースはエースのシテキスタンレイ選手が先頭集団、主将の関竜太選手を中心とした日本人第一集団、濱登貴也選手を中心とした日本人第二集団となり推移する。中盤以降集団がバラけていくなかでペースの上がる選手、落ちる選手が出てくる。そしてチーム10番手の福田瑠楓選手がゴール。タイミングは全体の9番目であった。当時、10大学が出場権を獲得できたためこの順位は際どいものであった。そして運命の結果発表。次々と大学名が読み上げられる中…
「9位、
東京国際大学
 創部5年目の新興校が伝統校との争いに勝利した瞬間であった。部員僅か2人の状況から4年半での箱根駅伝出場は通算40校目の出場である。そして翌年以降
創価大学との争いが待ち受けているが、それは後日(笑)

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